日記・コラム・つぶやき

2008年4月 1日 (火)

伊達政宗の句

Masamune

馬上少年過
世平白髪多
残躯天所赦
不楽是如何

馬上少年過ぐ
(戦いのうちに若い時は過ぎていった。)
世平らかにして白髪多し
(世が平穏になった時は、年老いている。)
残躯(ざんく)天の赦(ゆる)す所
(神の思(おぼ)し召(め)しにより生き長らえた)
楽しまずんば是いかん
(どうして余命を楽しまずにおられようか)
又は、

楽しまず是如何に
(しかし、どうしても余命を楽しむ事が出来ない)

最後の句、「不楽是如何」は、上記のように
2通りの読み方がある。
私は、正宗は、2つの気持ちを行き来していたのではないかと思う。
正宗ほどの器量ならば、天下が取れなかった事に無念の念があったに違いない。 正宗(1567年9月5日―1636年6月27日)は家康より更に、24歳若く、天下取りには生まれるのが遅かった。 

生まれたのが京都から遠い奥羽の地であったのも大きなハンディだった。 

支倉常長をヨーロッパに派遣し、スペイン国王やローマ教皇にも謁見させたのも、当時の最強国・スペインやキリシタンと連携しようとする広大な構想であったと思われるが、タイミングが合わず、現実に実利をもたらす事はなかった。 

適(かな)わなかった夢の思いが最後の句になったのではないか。 

正宗は、家康と同じように長命で、70歳まで生き、最後は三代徳川家光にも慕(した)われ、徳川政権の後ろ盾のようになった晩年であったという。

Masamune_samurai

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