スポーツ

2010年4月 3日 (土)

心に残った言葉/「僕にはサッカーしかないですから。一つの事を続けてきたのはサッカーですし。これしか、僕、知らないですし、サッカーで人生を学んできましたから。ええ、そう簡単に辞めれるものじゃあないんですね。」三浦和良4月2日(金)深夜NHK総合テレビジョン“プロフェッショナル仕事の流儀”より。

クロアチアに移籍して出合ったサッカー選手ゴラン・ユーリッチの言葉―「サッカー選手とは年齢に関係なく常に成長するものだ。低落など存在しない。人は決して頂点に達する事は無く常に学ぶものだ。」

 
茂木健一郎「ゴラン・ユーリッチから学んだものは?」
三浦和良「一言では難しいが、ユーリッチのタフさとか、サッカーに対する情熱、でもグランドを一歩離れたら、人生を楽しんでいる、謳歌している、そういう姿に余裕というか、プロらしさを感じて、体の衰えはあっても頭の中が常にフレッシュな状態でいれれば、肉体も支えられるんじゃあないかと思いましたね。」

茂木健一郎「ずーと続けていただきたいなと一ファンとしては思うのですが、プロは結果が全ての世界で、もし今のチームから、戦力として要らないと通告を受ける日が来るとしたら、どうされますか?」 
三浦和良「それが“いつ”によりますけど、例えば、今日言われたら、自分の次のプレーをするところを探しに行きます。」 

茂木健一郎「どんな場でも良いから、サッカーを続けようという気があるのですか?」 
三浦和良「自分を本当に必要としてくれて、目標を持っているチームだったら、やっぱり、やりたいです。はい、それがJ2より下のカテゴリーであっても。チームが意欲的で情熱を持って経営してクラブとして成長しようとしているチームだったら行きたいです。それはカテゴリーを落としてでも行きたいです。」

茂木健一郎「どうしてそこまでしてサッカーを続けようとするのですか?」 
三浦和良「僕にはサッカーしかないですから。一つの事を続けてきたのはサッカーですし。これしか、僕、知らないですし、サッカーで人生を学んできましたから。ええ、そう簡単に辞めれるものじゃあないんですね。」

12年前(1997年)、31歳の時の、夢が破れたワールドカップ代表落選について、お前はここからどう生きるのかが始まった。
 
三浦和良「もしかしたら、あそこからサッカーの人生の始まりだったかもしれないね。
そこまでは、もしかしたら、本当にこう、こう言っては何ですけど、余興だったのかなっていうね。
あそこから本当に、自分がどうなるかって言う、サッカーの神様が与えたものじゃあないの。
『お前はここからどうやってサッカー選手としてやっていくんだ』ってね。
そんな様な気がしますね。サッカーの神様がいるなら。」

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2008年12月 7日 (日)

心に残った言葉/思いは誰にも負けないー片山 晋呉(かたやま しんご)

「僕なんか体格的にも力的にも恵まれている訳ではないので、常に何かを追いかけたり、1ミリでもゴルフを旨くなりたいという気持ちがどれだけ人より強いか、どれだけ人より思っているか、どれだけ創意工夫をしていくか、というところに最後はかかってくると思うんですよ。そういう風に思う心だったり、考える力は、今までの(体格や力に)恵まれている人達に、僕は勝っていると思うんですよ。」
片山 晋呉(かたやま しんご)
1973年1月31日生まれ 茨城県出身プロゴルファー。2008年10月の日本オープンでツアー通算25勝を飾り、史上7人目の永久シードを獲得した。
(NHK総合テレビジョン「スポーツ大陸」2008年12月5日放送より)

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2008年4月22日 (火)

極真(きょくしん)の由来ー大山倍達(ますたつ)

「極真」の言葉の意味は、千日を以って初心とし、万日を以って極(きわ)みとする、という武道の格言に由来している。

初めて武道を志す者が、ようやくその初心に達するまでには、先ず、千日(3年)の修行を必要とし、そしてその極み、つまり極意の境地に至るまでには、万日(30年)はかかるというほどの意味である。

自分を引き合いに出すのも心苦しいが、私は拳の道一筋に40年近く邁進してきた。 苦しい修業もあった。世界中のあらゆる格闘技を始め、猛牛や熊とも闘ったこともあった。

私は今でも朝夕の稽古において、空手の最も初歩である拳の握り方一つについても悩み、迷い続けているのである。 そして今でも絶えず、工夫と研究を重ねているのである。何故なら、私自身、今も常に疑問をもっているからだ。 こうした一事をもってしても、いかに武道の道が遠く、その修業がいかに厳しいものかが、読者には理解して貰えるであろう。

大山倍達(ますたつ)著 「わが空手修業」 ㈱徳間書店 より抜粋。

大山倍達(おおやま ますたつ)1923-1994
寸止めでない、直接打撃制の“極真空手”の創始者。1971年から1977年まで「週刊少年マガジン」で連載された、梶原一騎原作の劇画『空手バカ一代』のモデルにもなった。

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2008年4月 8日 (火)

「素手で牛を倒すには」 大山倍達(ますたつ)

牛の頭の後ろに立って両手で角を掴(つか)んで捻(ねじ)り倒し、牛が起き上がろうとするところを後方から角の根元に手刀(しゅとう)を打ち下ろす。

牛が起き上がる動きに対して打ち下ろした手刀がカウンターに入って角が根元から折れる。 

角を折られた牛は戦意を喪失する。 

この角折りが出来るには、重量挙げで200キロを持ち上げるパワーと、100メートルを11秒台前半で走るスピードと、空手の技(わざ)、の3拍子が必要だよ。

大山倍達(おおやま ますたつ)1923-1994
寸止めでない、直接打撃制の“極真空手”の創始者。1971年から1977年まで「週刊少年マガジン」で連載された、梶原一騎原作の劇画『空手バカ一代』のモデルにもなった。

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2008年2月29日 (金)

『本当に試合前、逃げたくて、凄い怖かったです。』 福原 愛


2月26日、広州(中国)で行われている、世界卓球選手権団体戦の予選リーグで、日本チームは宿命のライバル、韓国と対戦した。 試合は2-2の接戦になり、勝敗の決着は、最終試合の 福原: 文 の対決に持ち越された。
試合はフルゲームになり、最後は、韓国にマッチポイントを握られながら、ジュースに持ち込む、逆転の大接戦で福原が文を下し、日本はリーグ一位で決勝トーナメントに進む事になった。
小さい頃、試合に負け始めると、泣き出す為、「泣き虫愛ちゃん」とあだ名がついていたが、試合に勝って泣いた事はなかった。 しかし、最終試合を熱戦で制した時、福原の表情が崩れた。

『本当に、勝てて嬉しいです。皆がいてくれなければここまで出来なかったと思います。』『本当に試合前、逃げたくて、凄い怖かったです。』
福原 愛

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