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2008年4月

2008年4月22日 (火)

極真(きょくしん)の由来ー大山倍達(ますたつ)

「極真」の言葉の意味は、千日を以って初心とし、万日を以って極(きわ)みとする、という武道の格言に由来している。

初めて武道を志す者が、ようやくその初心に達するまでには、先ず、千日(3年)の修行を必要とし、そしてその極み、つまり極意の境地に至るまでには、万日(30年)はかかるというほどの意味である。

自分を引き合いに出すのも心苦しいが、私は拳の道一筋に40年近く邁進してきた。 苦しい修業もあった。世界中のあらゆる格闘技を始め、猛牛や熊とも闘ったこともあった。

私は今でも朝夕の稽古において、空手の最も初歩である拳の握り方一つについても悩み、迷い続けているのである。 そして今でも絶えず、工夫と研究を重ねているのである。何故なら、私自身、今も常に疑問をもっているからだ。 こうした一事をもってしても、いかに武道の道が遠く、その修業がいかに厳しいものかが、読者には理解して貰えるであろう。

大山倍達(ますたつ)著 「わが空手修業」 ㈱徳間書店 より抜粋。

大山倍達(おおやま ますたつ)1923-1994
寸止めでない、直接打撃制の“極真空手”の創始者。1971年から1977年まで「週刊少年マガジン」で連載された、梶原一騎原作の劇画『空手バカ一代』のモデルにもなった。

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2008年4月15日 (火)

「もう、不安で何回も自殺を考えてたね。」ドン小西

文化服装学院を卒業後、サラリーマン勤めのあと、1981年に自分のブランド、フィッチェ・ウォーモを設立。

しかし、始めの4年間は全く売れず、眠れない日々が続く。
「ポケットには50円しかなく、もう、不安で何回も自殺を考えてたね。
色んな糸屋さんに頭を下げて、(糸を)くれと・・・
大体、少なくなった糸は使えないからね。

それをいっぱい貰ってくる訳だ。こんなゴミ袋に。サンタクロースのように引きずりながら。 それを手当たり次第に編む。」

残り糸ばかりだから、色はバラバラ。それが逆に不思議なパワーを生む。

ぶっつかりあう色と素材。全く新しいデザインが誕生し、市場はすぐに反応する。

デザイナー小西良幸、成功の第一歩となる。

ドン小西(本名:小西良幸)1950年三重県津市生まれ。
テレビ・雑誌の辛口ファッションチェックで知られる。
ドン小西の名前は、50歳でテレビのワイドショーに招かれた時、番組ディレクターがつけた名前。

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2008年4月 8日 (火)

「素手で牛を倒すには」 大山倍達(ますたつ)

牛の頭の後ろに立って両手で角を掴(つか)んで捻(ねじ)り倒し、牛が起き上がろうとするところを後方から角の根元に手刀(しゅとう)を打ち下ろす。

牛が起き上がる動きに対して打ち下ろした手刀がカウンターに入って角が根元から折れる。 

角を折られた牛は戦意を喪失する。 

この角折りが出来るには、重量挙げで200キロを持ち上げるパワーと、100メートルを11秒台前半で走るスピードと、空手の技(わざ)、の3拍子が必要だよ。

大山倍達(おおやま ますたつ)1923-1994
寸止めでない、直接打撃制の“極真空手”の創始者。1971年から1977年まで「週刊少年マガジン」で連載された、梶原一騎原作の劇画『空手バカ一代』のモデルにもなった。

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2008年4月 1日 (火)

伊達政宗の句

Masamune

馬上少年過
世平白髪多
残躯天所赦
不楽是如何

馬上少年過ぐ
(戦いのうちに若い時は過ぎていった。)
世平らかにして白髪多し
(世が平穏になった時は、年老いている。)
残躯(ざんく)天の赦(ゆる)す所
(神の思(おぼ)し召(め)しにより生き長らえた)
楽しまずんば是いかん
(どうして余命を楽しまずにおられようか)
又は、

楽しまず是如何に
(しかし、どうしても余命を楽しむ事が出来ない)

最後の句、「不楽是如何」は、上記のように
2通りの読み方がある。
私は、正宗は、2つの気持ちを行き来していたのではないかと思う。
正宗ほどの器量ならば、天下が取れなかった事に無念の念があったに違いない。 正宗(1567年9月5日―1636年6月27日)は家康より更に、24歳若く、天下取りには生まれるのが遅かった。 

生まれたのが京都から遠い奥羽の地であったのも大きなハンディだった。 

支倉常長をヨーロッパに派遣し、スペイン国王やローマ教皇にも謁見させたのも、当時の最強国・スペインやキリシタンと連携しようとする広大な構想であったと思われるが、タイミングが合わず、現実に実利をもたらす事はなかった。 

適(かな)わなかった夢の思いが最後の句になったのではないか。 

正宗は、家康と同じように長命で、70歳まで生き、最後は三代徳川家光にも慕(した)われ、徳川政権の後ろ盾のようになった晩年であったという。

Masamune_samurai

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